関東の人から見ると関西人はみな同じように見えるかも知れませんが、私が京都に住んでいた頃に、関西の県にはそれぞれ明確な個性があることにすぐに気がつきました。

 京都の人は、島田紳助さんや、上岡龍太郎さんに代表されるように、非常に頭が良くて、逆にとっつきにくい印象を受けます。
 テレビで関西弁と思われている言葉の多くが、実は奈良弁とか河内弁と言われるもので、摂津(大阪中心部)の人は、もっと、のほほんとゆったりとしたしゃべり方をします。
 神戸の女の子は「夜景慣れ」していてムードに流されにくいと言うか、男性と一定の距離を保とうとします。神戸の言葉にも特徴があって「○○している」ということを「○○しとー」と言います。あだ名も特徴的で「岸本さん」なら「きしも」とか「きしもっちゃん」となります。「元の名前よりも長くなっているんだから、"と"くらい省略しないで言えばいいのに」とよく言っていました。

 でも共通した特徴があって、関東なら女の子が無視するような状況でも、関西では無視や他人を否定するような態度は極力とらないで、言葉によるコミュニケーションが維持された状態を保とうとします。大阪の商人が「考えときまっさ」と言うのが否定の意味になるというのも同じ理由です。私は「優しい文化だなあ」と感心しました。同時に関東の人間は、関西人の返答を間違って受け取ることのないように注意しなくてはいけません。

 私が初めて京都に来たときに「関西の高校生は恵まれてるなあ!」と思いました。私は日本史を選択していたのですが、どの川が大和川水系か淀川水系かまったく分かりませんでした。大津、神戸や吉野の地理も、もうひとつはっきりしませんでした。関西の高校生にとっての東北六県の位置関係みたいなものです。

 これはあまり関係ないのですが、お好み焼きというのは、私が高校生のころなどはホットケーキのような印象を受けていたのですが、そうではなくて、たこ焼きみたいな、中はとろろ芋などの働きでふわふわとしたものです。私の関西の友達が関東の幼稚園のバザーで作っているお好み焼きを食べて、「こんなものはお好み焼きと違う!」と言って憤慨していました。私も京都で初めてお好み焼きを食べて、「これは生焼けなんじゃないのか?」とびっくりしました。今はたくさん関西が本店のお好み焼き屋も関東に進出していますので、きちんとしたお好み焼きが関東でも食べられるようになっていることと思います。

 

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