明治時代のお雇い外国人だったハインリッヒ・エドムント・ナウマンはフォッサ・マグナの発見や、ナウマン象にその名を残した地質学者ですが、彼が明治政府に招聘されて、日本に来たときはまだ21歳だったんですね。大学卒業時の年齢が23歳、大学院卒業時の年齢が28歳であることを考えると、当時のナウマンの年齢は大学院生未満です。明治政府に人を見る目があると言うべきか、実力を存分に発揮できる場を与えれば、若い人間でも素晴らしい業績を残しうると言うべきか、とにかく驚きです。

 第2次世界大戦が終わった直後の昭和20年代、30年代も、20代、30代の技術者達がこぞって素晴らしい業績を残しました。このような例を見るに付け、私は、決して若い人たちの活躍の邪魔にならないように、彼らの活躍の場を整えることにも研究の重点を置きたいと思っています。人は必ずいつかは死ぬのですから、次世代を担う若い人たちを教育して育てることも大切です。研究者のみならず、それを支える大勢の周りの人たちをも、です。

 生産的な仕事のトップには、ディレクター的な仕事と、プロデューサー的な仕事の両方がありますが、たとえ傍目には裏方のように見えても、プロデューサーこそが生産活動の主体であると、世間が認めています(オーケストラにおける指揮者みたいなものです)。ディレクターはプロデューサーの手足となって、生産活動をアシストします(オーケストラのコンサート・マスターみたいなものです)。

 

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