トーマス・アルバ・エジソンの名言に「天才は1%のひらめきと99%の汗」というものがありますが(Wikipediaには「この訳は誤訳だ」と書いてありましたが、私はそうは思いません)、本当にその通りだと思います。高校の時「努力できるのも立派な才能だ」ということを先生が言っていましたが、その通りで、常軌を逸した集中力で好きなことに取り組むことができる人間を他人は天才と呼びます。ですから、子どもの頃に他人が分かる天才性など、計算の速さくらいしかありませんが(私の高校の時の先輩は子どもの頃にそろばんを習っていて暗算がものすごく速かったので、スーパーマーケットに連れて行かれて重宝されていました)、不幸にして集中して努力することがなかった場合、「20歳過ぎればただの人」となってしまいます。でも私の周りの天才たちは皆「普通の人生が一番幸せだ」と言っていましたので、「ただの人」になることは不幸なことではなくて逆に幸福なことなのかもしれません。筒井康隆さんの小説に、そんな、ずば抜けて頭の良い人間はそれを隠して普通の目立たない人間として一生を送る、という描写がありました。
 「外部記憶がある」ということを記憶しておくことも(メタ記憶といいます)重要な能力なので、森博嗣さんの小説の登場人物のように脳の記憶容量が大きいことも、天才にとって必要不可欠な条件なのだと思います。何か「天才」というカテゴリーも「美人」とか「お金持ち」というカテゴリーみたいなもので、どうでも良いことのように思えてきますね。

 全然関係ない話なのですが、人は写真の中の人物の白目の位置にものすごく敏感で、その人物がどこを向いているのかすぐ分かるそうです。それもすごいことだなあと思いました。

 

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