今回紹介するのは20年前の論文ですが

Development 113, 1-26 (1991)
Spatial mechanisms of gene regulation in metazoan embryos(後生動物の胚における遺伝子制御の空間的メカニズム)
Eric H. Davidson

です。デビッドソン博士は私の留学先の研究室のボスでした。彼の書いた様々な哲学的論文は、発生生物学者にとっての珠玉です。この論文も時代を5年は先取りした内容のものなのですが、いかんせん読み手に相当な背景知識がないと理解するのが難しく(私が同じく尊敬するカリフォルニア工科大学の教授のリチャード・ファインマン博士と、同じ大学の教授とは思えません)、文章も長大ですので、読者の方が改めて今から目を通す必要はないでしょう。この文章で論文の中身を分かりやすく解説できるように努めたいと思います。

 この論文の中身はひとことで言うと「全ての動物は彼が "タイプ1胚発生" と名付けた発生様式によって発生してきている」ということなのです。タイプ1幼生とは、中空胚で遊泳器官として繊毛帯があるものです。図を

Nature 409, 81-85 (2001)
Evolution of the bilaterian larval foregut(左右相称動物幼生の前腸の進化)
Detlev Arendt, Ulrich Technau, & Joachim Wittbrodt

から引っ張ってきたので載せておきます。

タイプ1幼生にはクラゲのプラヌラ幼生、貝やゴカイのトロコフォア幼生、ギボシムシのトルナリア幼生、ウニのプルテウス幼生など、様々なものがありますが、形はどれもよく似ています。左の図が貝などの幼生の図で、右の図がウニなどの幼生の図です。
 ちなみにタイプ2胚発生というのは脊椎動物の発生、タイプ3胚発生というのがショウジョウバエの発生です。よく知られたこれらの動物の発生様式は「タイプ1胚発生から大きく変化してきたものだ」ということを記述しています。デビッドソンは「線虫の胚発生もタイプ1胚発生の1つだ」と記述していますが、線虫胚にはこのような繊毛の帯がなく、私は違った種類の胚発生だろうと思っています。primary larva(1次幼生)という言葉がtype 1 larvaと良く似た意味で広く用いられているので、この文章では今後この言葉を使っていこうと思います。ですから「タイプ1」のみが重要で、「タイプ2」、「タイプ3」という言葉には大きな意味はありません。
 1つ思い出したのですが、受精の分野で「細胞内のカルシウム濃度のオシレーション(振動)が起こる」現象があります。私はネットワークの物理的な形が「ネガティブ・フィードバック」になっていれば、このようなオシレーションは当然予想される結果であり、振動の回数には物理的意味は殆どないんじゃないかと思っているのですが、世の中は広いものでオシレーションの起こる回数に興味を持って調べている研究者もいるそうなのです。面白いなと思いました。
 全然、話は異なるのですが、私の父は国文学の研究者で「文字を書き写す時の間違いというのはランダムに起こるもので、どんな異体字が何回使われているのか調べることには殆ど意味がない」と考えているのですが、やはり世の中は広いもので、異体字の使われている回数に興味を持って調べている研究者は実在します。

 ここで最も重要な推理は「繊毛帯は、遊泳生活に適応するために様々な系統で何度も生じたものではなく、すべての繊毛帯は共通の起源を持つ」ということなのです。これは今後確かめる必要のあることですが、現時点ではほとんどの発生生物学者から受け入れられています。

 ウニにはよく知られた間接発生の種と、直接、親の形態に発生する直接発生の種があるのですが、デビッドソンはどうもこの現象に引きずられて議論が長くなっているような気がします。大切なのは発生プロセスに変更が加えられる可能性があるという実例の提示です。
 これもよく知られたことですが、ナメクジウオ胚とウニのプルテウス幼生の形態がよく似ているということが、この論文に記述されています。つまり、脊椎動物はタイプ2胚発生という修飾を受けた胚発生プロセスを持ちますが、そのもととなるのはやはり1次幼生を経る胚発生であったということが示されています。

 1次幼生の体内にあって、成体のボディプランを作る細胞をデビッドソンは「set-aside cell(備蓄細胞)」と名付けています。これも非常に面白いレビューとなっていますので、今後、時間のあるときに紹介しようと思っています。

 

←イタボヤ・その2   →光年

ホームページへ