今回は以前「S-RNase型自己非自己識別」という文章で予告した

Zoological Science 19, 527-538 (2002)
Re-Examination of Sibling Cross-Sterility in the Ascidian, Ciona intestinalis : Genetic Background of the Self-Sterility(カタユウレイボヤにおける兄弟の他家不和合性の再検討:自家不和合性の遺伝的背景)
Naoyuki Murabe and Motonori Hoshi

という論文の紹介です。村部さんらは掛け合わせ実験を行ってF1世代のカタユウレイボヤを作っていますが、そのような実験は我々自身も含めて世界中で過去に何度か行われているので詳細は省きます。はじめに断っておきますが、カタユウレイボヤ個体は高等植物の花と同じように卵と精子を同時に産生する雌雄同体の動物です。

 重要なのはトーマス・ハント・モルガンの提唱した「ハプロイド精子」仮説の検証なのです。Aという個体とBという個体があった場合、Aの精子とBの卵の間では受精が起こるのに、逆のAの卵とBの精子とでは受精が起こらない現象を一方向性の不和合性といいます。
 この種の示す一方向性の不和合性を説明するために、モルガンは「ハプロイド精子」仮説というアイディアを提唱しました。かなり理解するのが難しいのですが、理解できるととても面白いので、分からなかったらぜひ何度か読み返してみて下さい。
 精子と卵が受精可能かどうかは、卵の場合は2倍体の染色体(ディプロイド)によって決まるが、精子の場合は1倍体(ハプロイド)によって決まるというのが彼の仮説です。そして2倍体の個体が産出する精子には、見た目は同じように見えますが、実際には2種類の精子が混ざっていることになります。
 AAという染色体を持つ個体とABという染色体を持つ親がいた場合、AB卵とAA個体の精子(A精子)の間では受精は起こりません。ところがAB個体の産出する精子にはAという精子とBという精子の2種類があって、A精子はAA卵と受精不可能ですが、B精子はAA卵と受精可能で、巨視的な目で見るとAB個体の精子はAA個体の卵と受精可能なように見えることになります。
 この「ハプロイド仮説」が正しそうだということを実験的に証明したのが村部さんの論文だと言うことになります。

 詳しくは以前に書いたレビュー
Int. J. Dev. Biol. 52: 637-645 (2008)
Allorecognition mechanisms during ascidian fertilization(ホヤにおける自他認識)
Yoshito Harada and Hitoshi Sawada
に図示してあります。難しく書いてしまったかなあと少し反省もしていますが、良いレビューです(自分で言うなという話もありますが)。

 掛け合わせ実験を行うと、ABという染色体を持つ個体の自家生殖からはAA、AB、BBという3種類のF1が生まれます(つまり半分はホモ個体が混ざっている)。それに対してAB個体(自家生殖に用いた個体と同一のもの)とCD個体を掛けあわせた場合はAC、AD、BC、BDという4種類のF1が生まれてきます(ホモ個体は1つも混ざっていない)。
 「ハプロイド仮説」が正しいと仮定すると、一方向性の不和合な組み合わせが観察された時、そのときの精子側の個体の染色体がホモで、卵側の染色体がヘテロであるということになりますが、村部さんらが実際に掛けあわせてみた結果は、事実それを示唆するものになっています。正直この論文はすさまじく難解で、中身を正しく理解できる人がこの世の中に何人いるのか分かりませんが、素晴らしい研究とディスカッションです。
 精子の表現型が1倍体ゲノムによって決まるということは、普通減数分裂のあと(成熟した精子)では遺伝子の発現が起こらないものとされていますが、自己・非自己識別に関わる遺伝子(あとで詳しく述べますがs-テミス遺伝子です)は減数分裂のあとで発現が起こっていることになります。実験的に調べてみる必要はありますが、もし発現していることが証明できたらものすごく面白いですね。

 トーマス・ハント・モルガンというのは私が留学していたカリフォルニア工科大学の生物学部門を作り上げた初代学部長でした。彼はショウジョウバエ遺伝学の父と呼ばれ、自身が1933年にノーベル医学賞生理学を受賞したのみならず、弟子たちからも10人近くの受賞者を輩出した、アメリカの大生物学者です。これはものすごいことで、ノーベル賞というのは「同一分野からは3人まで」という決まりがありますので、彼の弟子たちは様々な分野に専門を変えながらそれぞれが超一流の仕事を成し遂げたことになります。受賞者を見ると、モルガンのお弟子さんばかり…ということになりますね。

 以前学会で、ショウジョウバエとホヤの両方の発生学研究をやっている、とても優秀なアメリカの生物学者マイク・レビンからポンと肩を叩かれて、「よう、トーマス・ハント・モルガン2世!」と激賞されたことがありました。私は「それは言い過ぎです…」と縮み上がってしまったのですが、同時にものすごく嬉しかったのを覚えています。
 テミス遺伝子発見の論文が採択されたときも、審査員の先生が「天国のモルガンもきっと喜んでいるに違いない」と書いてくれて非常に感激しました。良い審査員というのは素晴らしいコメントを書くものだなと思いました。

 

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