私のように「人望が無くて役員になれない人」なんかは時に、役員になってくださるかたのことを、特に学生時代なんかには「お好きな人」と言っていたように思い、深く反省していますが、ただ「お好きな人」と言っていたわけと「役員にはならない」理由は、学部に依っては、クラブやサークルなんかで運営系の仕事に携わることは、卒業後、其処かの職場に就職する際に、高く評価されることになるからです。私は、自分に才能が在るなんて思ったことはありませんが、大学入学した頃から、
1・入学当時、当時の日高敏隆学部長から、「皆さんは世捨て人です」と、お灸を据えられた(∵何処の大学の受験生でも受験時には「俺は天才だ〜」と自己暗示を掛けるもの)・呪いをかけられた(でも徐々に、それが真実であることを悟り、感謝するようになった)。
2・それでも最初は物理学者になろうと志したものの、敢え無く挫折(特に重力の測定実験(鉄球をぶら下げた糸のねじれの数を数える)は、実につまらなかった…)。
3・理科の教職免許を取る過程で受講した比較形態学の面白さに気づき(途中で麻酔が切れた誰かのアフリカツメガエルが周囲を血だらけにしながらピョコタンピョコタンと跳ね回ったのも、今では良い思い出)、生物学者になることを志す。
4・志したは良いものの、自分は血液が苦手、ということに気が付き、再び(半)挫折、
という経緯を辿って、今に至っている(?)わけなのです。
 大学生が真夜中まで「喧々諤々」とやることも、とっても良いことなのだろうと思いますが、寝不足の議論はやはり不毛なものです。「暴力(北朝鮮の原子爆弾も、また)をチラつかせた脅し」もやはり問題外なものなのです。私自身の思い出で言えば、いつぞや「家族が軽微な交通事故を起こした時」の、「被害者サイドの、入れ知恵主(多分、彼の高校(盛岡一高ではありません、言っちゃあなんですが、もっとアホな高校です)のOBらしい、30歳くらいの先輩)からの、恐喝」は、高校生にとってはホンマに怖かったような気がします。その「高校の先生」だったら、まだマシなものだったのかも。
 あんまり関係は無いのですが、私は高校1年生の時、松園の友人から、「彼がその日に使い切った一高前までのバスの定期券」を、「大丈夫だって」と背中を押されて、100円くらいで買った想い出があります(もう、時効ですよね)。私も貧乏でしたが、彼もまた貧乏だったのだろうと思います。当時のバスでは「なかなかピンポンを押さない」という妙な我慢比べが流行していましたが、バスの運転手さんはきちんと「一高前」のバス停で停車してくれていました。

 

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