前回は本当に書きたい文章を書いたので、気持ちが熱くなって少し文章の専門性が高くなってしまいました。1度読んで理解できなくても何度か読み返して理解して下さるとありがたいです。

 今回は専門性を低める(?)ために、生物学とは直接関係ない話にしたいと思います。以前「進化は受動的に起こる」という書き物の中で「インテリジェント・デザインのような宗教的な存在」と宗教を否定するようなことを書いたので、そうではない、と補足するためのものです。

 徳川幕府による改宗と言えば、キリスト教のものが世に広く知られていますが、戦国時代の浄土真宗というのも当時は本当に「危険な宗教」で富山県などでは領主を追い出して信徒が支配する国を作ったり、それ以外にもさまざまな場所でそのような国を作ろうとしていました。
 奈良から京都に都が移ったのも、奈良のお寺が僧侶の一部が武装したりして政治的に力をつけて、政治に口をはさむようになってきたことを嫌ったからですし、浄土真宗以外の他の宗派でもお寺が政治的な力を持ったというのは同様で、織田信長が比叡山延暦寺を焼き討ちにしたのは、僧兵というそのような政治的な力を抑えようとしたからです(合戦と同じです)。
 江戸幕府が浄土真宗の大本山を東本願寺と西本願寺の2つに分けて、その政治的な力を薄めようとしたのは偉大な発明であったと思います。南アメリカ(ブラジルやアルゼンチンなど多くの国がスペインやポルトガルの植民地でした)の状況を見るにつけても、キリスト教を禁教にしたのは宗教弾圧と言うよりは政教分離のためにしかたのないこと、正しいことだったのだと思います。
 様々な歴史の試練を乗り越えて、アメリカなど多くの国で、そしてもちろん日本でも政治と宗教を分離することが憲法でうたわれています。政教分離は歴史の知恵なのだと思います。でも政治家が何か宗教を信仰することは自由だと思います。その時政治的な意見が宗教的な理由に由来するものではないことに注意する必要があります。
 アメリカは政教分離の国ですが、お札には"In God we trust(我々は神を信じる)"と宗教的な文句が入っているし、「無宗教」という言葉はアメリカでは特異な印象を与えるので、宗教の宗派について訊かれたら「不可知論者」と答えなさい、と英語の先生に教わりました。
 以前、インターネット上で「聖書は貴重な歴史的文献だし、神様というのは迷信だ」という記述にキリスト教徒もイスラム教徒もユダヤ教徒も猛反発したことがありました。でも私の友人は宗教を問わず、皆そう考えていると思います。戦前、美濃部達吉が「天皇機関説」というものを唱えて、軍部などは猛反発したけれでも、心ある人は皆そう考えていた、というのと似たようなものです。

 生物というものがあまりにも上手くデザインされているので、これは誰かが能動的にデザインしたものではないのか?というのがインテリジェント・デザインというものです。進化が実験的に実際に起こることは既に証明されているので、すべてのプロセスが能動的にデザインされている可能性はないと思いますが、それでも全ての生命の起源となったものを誰かがデザインした、ということはあり得ることだと思います。じゃあその「インテリジェント・デザイン」を誰かデザインしたのか?という入れ子状の疑問になってしまうので、少なくとも歴史的に1回は生命が自発的に生じる必要があるとは思うのですが。

 

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