以前の「受精のフレームワーク作り」という文章で、心に暖めている研究テーマを秘密にしないで公開したのは、恩師である佐藤矩行先生(現・沖縄科学技術研究基盤整備機構 OIST)の、本当に内緒にしたいこと以外は秘密にしないで開けっぴろげにする態度に感銘を受けたからなのです。

 佐藤先生(以降「佐藤さん」と最大限の敬意をこめて呼ばせて頂きます)は以前、私の母校でもある京都大学の教授でした。学生の、大学院に入ったばかりの頃は佐藤さんの偉さがあまり良く分からなかったのですが、上にいけばいくほど徐々にそれが良く理解できるようになっていきました。
 まず、佐藤さんは「佐藤先生」と自分を呼ぶことを禁じました。先生と呼ぶことで対等な立場で科学的な議論ができなくなることを恐れたからだそうなのですが、私はどうもそれは素晴らしいことであったと思います。
 第2に佐藤さんは素晴らしいディープ・シンカー(深くものごとを考えられる人)でした。東京大学の大学入試なんかは一定時間内に数多くの問題を解かせる、高い事務的な能力が要求されるものだったと思うのですが、京都大学の大学入試は、特に数学などで少ない問題をじっくり解かせるようなものでした。そういったディープ・シンカーを入学させるために、例えば小論文入試などが考えられているのですが、すぐに予備校にその対策が考えられて当初の目的が半減させられています。でもそれほどディープ・シンカーは通常頭が良いと思われている「頭の回転が速い人」を越えて待ち望まれたものであるということなのです。佐藤さんが「一晩考えさせてくれ」と言って研究の進め方についての問題を家に持ち帰ったあとに下した結論が、また実に見事なもので、その時私は本当に感服したのを覚えています。佐藤さんは京都大学の先生として本当にもってこいの人物であったと思います。私の印象では京都大学の先生にはこのディープ・シンカーが多かったように思います。
 それから学生が自分の発案で研究テーマを考えて実験していくのも、佐藤さんは黙認と言うか陰で推奨していたような節があります。最初にもらった研究テーマで実験して、例え上手く行かなくてもそこで悩んで自分の頭で考えてテーマをひねり出すことが将来きっと役に立つ、と考えていたように思います。大学院生たちは何か1つのことを自分の力でやり遂げたように思っていたかもしれませんが、今にして思えば佐藤さんの手のひらの上で踊らされているようなものでした。その結果として佐藤研からは数々の優秀な弟子達が巣立っていきました。佐藤さんは研究者としてのみならず、教育者としても超一流であったと思います。
 現在の職場に就職したのもノーベル賞受賞者でもある学長のシドニー・ブレンナー博士が「日本にも佐藤博士が居るじゃないか?」と言って政治家が「佐藤?誰だそりゃ?」と大慌てとなって探したのだ、ということを私は他人から聞きました。現在の職場に移ってからも、その期待通り数々の素晴らしい研究成果を挙げています。この場でいちいち取り上げることはできませんが、また述べる機会もあろうかと思います。
 上に書いたようなことに加えて佐藤さんは名文家です。院生たちは親しみを込めて「文豪・佐藤」などと言っていましたが、日本語でも英語でも力のある文章を書いて、もしくは語って、周りの人をうならせていました。多分文学的な素養が豊かなのだと思います。その点は佐藤さんの弟子達にしっかり受け継がれています。佐藤さんのお弟子さんに良い大学院生がたくさん入ってきたことも確かですが、佐藤さんのお弟子さんたちは、特に論文などに素晴らしい文章を書かれる方達ばかりです。
 佐藤さんの研究成果はいっぱいあってこの文章では報告し切れませんが、私が思う一番重要な成果は、ホヤという、数十年前はマイナーな実験動物であった生き物を、色々な他の研究者も大勢巻き込んで線虫に匹敵するようなメジャーな地位まで引き上げたことだと思います。

 こんなことを書くと「おいおい、それは違うよ。止してくれよ。」などと佐藤さんから言われるような気もするのですが、これが嘘偽りのない正直な気持ちです。

 

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