今日のテーマは短いですが「心に残った言葉その1」というものです。以前、もう10年以上前のことになりますが、学会で「ホモログ取りは是か否か?」というフォーラムが行われたことがありました。当時、ショウジョウバエで見つかった色々な遺伝子の相同遺伝子をPCR法によって他の動物から取ろうという研究が盛んになり始めた頃で、遺伝子を正攻法で取ろうとしていた従来の研究者はそれを面白くなく思っていました。何しろ正攻法というやり方は時間がかかりますからね。
 多分、仕込まれたのだとは思いますが、議論を盛り上げようと、「お前ら、そんなこと(ホモログ取り)をやって面白いか?」という挑発的な意見をたたき付けた人に対して(面白い・興味深いというのを「意味がある」という最上のほめ言葉として研究者の人はよく使いますが、それはまた今度の話にしたいと思います)、当時筑波大学におられた岡田益吉先生が
「ホモログ取りをやろうという人は進化を信じているからやるんですよ。」
と一言述べて、挑発した人もその言葉の重要性を理解できるので、ぐうの音もでなくなってしまった、と言うことがありました。あたかも時代劇で主役の俳優が悪役の俳優を切り捨てるような見事な一言で、もうそれだけで議論も終了というような出来でした。

 それとは大分趣が異なってしまうのですが、当研究室の山田さんが「タンパク質の等電点を決めるのはあまり意味がない」と仰っていたのも非常に意味深い言葉であると思いました。質量分析の研究者からすると、1次元目の泳動でタンパク質の種類を減らそうとすることに大きな意味があり、等電点自体にはあまり生化学的な意味がないということです(つまり種類が減らせるような処理なら何でも良い)。ちょっとこの言葉には説明が必要になるかもしれませんが、分かる人には分かるということで、説明はまたの機会にしたいと思います。

 最後に、これは名古屋大学にいらっしゃる(or 以前いらっしゃった?)森博嗣先生の言葉です。先生はそのエッセイの中で「○○時に電話します、とメールで教えてくれた方が良い。」と書かれていて、私はこの言葉は至言だなあと思いました。つまり、メールの文章というのは時間があるときにいつでも読むことが可能なのですが、電話は突然かかってきて一定時間拘束されます。私は以前留学していた時には現在の妻からかかってくる電話を心待ちにしていたので、一人暮らししている学生なんかが会話を楽しむ気持ちは何となく分かるのですが、家族と一緒に暮らすようになると電話で話をする機会はほとんど皆無になりました。電話は即答が返ってくるので、メールのやりとりがわずらわしくなったときによく使います。が、メールの場合はやり取りの記録が文書としてきちんと残るし、正しい回答をするためにはある程度質問を寝かせてじっくり考えて回答した方が良いことも多いので、重要なやり取りはやはりメールによって行われた方が優れているのです。

 

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